森昌利のプロフィール
1962年3月24日生。24歳からフリーランスのライターとして活動し、31歳で渡英。当地で英国人女性と結婚し、定住。ロンドン市内の出版社勤務を経て、36歳で現地のフリーランスとなり、サッカー記事の執筆にも着手。
2001年に元日本代表FW西澤明訓がボルトンに加入したことを受け、報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。以降、20年以上に渡り、世界で最先端を走る“サッカーの母国”イングランドサッカーのリアリティーを現地から伝えている。
プレミアリーグで活躍している日本人選手と言えば、アーセナルの日本代表DF冨安健洋とブライトンの同MF三笘薫だ。世界最高のリーグで、冨安はトッププレーヤーを抑え込む高水準の守備力を。三笘はビッグクラブを切り裂くドリブル突破で圧巻の攻撃力を示しているが、20年以上にわたってプレミアリーグを中心に現地取材している英国在住ジャーナリストの森昌利氏が、両選手について「欧州と日本のギャップを埋めてくれる存在」と太鼓判を押している。
冨安に関して、森昌利氏の中で印象に残っているのが、2022年10月に行われたリバプール戦だという。この試合で、冨安は左サイドバックとして先発フル出場していた。
アルテタ監督の冨安選手の起用法を見ていると、どこのポジションでも構わないからピッチには立たせておきたいというように映る。リバプール戦での左SB配置は、まさに今の冨安選手の立場を物語っている采配だった。全幅の信頼の元、サラーを抑え込む役割を託され、見事に期待に応えてみせた。私はリバプールファンだが、「冨安がサラーを制圧」という記事を書かざるを得なかったね。試合後にアルテタ監督に尋ねたら、「言った通りにやってくれた」と。でも、相手はあのサラーだからね?
世界屈指のアタッカーであるサラーを見事に抑え込み、アーセナルの勝利に貢献した冨安。森昌利氏が舌を巻いたのは、冨安のポジショニングとスピードだ。
本職がCBの中で、右SBだけでなく、左SBも任されるというのは、冨安選手の両足とも器用に使えて、戦術理解度も高いからこそ。何より素晴らしいのは、ポジショニング。攻撃時はボランチのような位置取り、アンカーのような役割を担いつつ、右サイドのスペースをカバーするタスクを遂行している。機を見て、右サイドのオーバーラップでクロスも供給できる。あとは直接試合を見てわかったけれど、冨安選手は足が非常に速い。俊足だからこそ、あのような役割を全うできる。フィジカルが強く、背丈も大きくて速いというのは、日本人離れしていると言えるかもしれないね。
そして、冨安と同様、強烈なインパクトを受けたのが三笘だという。日本人で三笘ほどの突破力を備えた選手を目にしたのは、長いライター人生でも初めてとのことだ。
日本人離れしているという意味では、三笘選手にも同じことが言える。確実に1vs1で抜けるからね。日本人で、あんな選手は今まで見たことがない。今のプレミアリーグで、1vs1を抜くって、皆が思っているよりも遥かに難しいこと。左のシャドーにトロサールが入ることが多いが、三笘が左ウイングバックに入る時は、トロサールが中央寄りでプレーするようになる。なぜなら、左サイドで三笘が必ず突破するから。それが確実にできる選手というのは、世界でも限られてくる。
ブライトンに加入したばかりの三笘だが、ビッグクラブの守備陣を個の力で打開するドリブル突破を披露しており、早くもイングランドでも注目を集める存在となっている。
リバプール戦の試合後に三笘選手と話したけれど、少し拍子抜けした様子だったもんね。「リバプールの守備陣相手にも全然通用するな」という手応えが、本人からも伝わってきた。でも、実際にリバプールは三笘を止められていなかったからね。近い将来、ビッグクラブも獲得に本腰を入れてくるだろう。あれだけサイドを突破してくれる逸材は、チェルシーやトッテナムは特に好きそうなタイプだからね。アジア人選手で、あれだけの期待感を抱かせるのは、ソン・フンミン以来かもしれない。
日本でサッカーは、他の競技と同様、スポーツという娯楽の1つとして数えられているが、サッカーの母国イングランドでは、スポーツの枠を超えた「バトル」だという。冨安や三笘のような選手が出てきたことは、日本代表にとって大きな発展であると指摘した。
冨安選手と三笘選手は、欧州と日本のギャップを埋めてくれる存在だと感じている。イギリスでは、サッカーは「スポーツ」ではなく「バトル」なのだが、2人とも“バトル仕様”の日本人選手であると強く感じる。攻守において、ああいった選手がナショナルチームにいるという意味でも、日本代表の今後は非常に期待できる。これだけ選手の質も上がってきているんだから、日本でもっとサッカーが盛り上がってもいいはずなのになぁと個人的には思っているけれどね(笑)
カタールW杯でも印象的な活躍を披露した冨安と三笘は、アーセナルとブライトンで主力として市場価値を高めている。それぞれ攻守で圧倒的なデュエルの強さを誇り、これまでの日本人になかった“バトル仕様”の選手として、今後の更なる飛躍に森昌利氏も期待を寄せていた。
1962年3月24日生。24歳からフリーランスのライターとして活動し、31歳で渡英。当地で英国人女性と結婚し、定住。ロンドン市内の出版社勤務を経て、36歳で現地のフリーランスとなり、サッカー記事の執筆にも着手。
2001年に元日本代表FW西澤明訓がボルトンに加入したことを受け、報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。以降、20年以上に渡り、世界で最先端を走る“サッカーの母国”イングランドサッカーのリアリティーを現地から伝えている。