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【オシム氏追悼対談 #2】城福浩×小倉勉 名将のサッカー観「未来を予言していた」

イビチャ・オシム氏がこの世を去った。80歳だった。ジェフユナイテッド市原(現千葉)、日本代表を率いたオシム氏は、日本サッカー界に確かな変革をもたらした。U-17日本代表監督の時代にオシム氏と多くの言葉を交わした城福浩氏、ジェフ市原・日本代表ともにオシム氏の元でコーチを務めた小倉勉氏も、そんな名将から大きな影響を受けたサッカー人の1人だ。「Off The Ball」はU-17日本代表で共闘した城福浩氏と小倉勉氏による対談インタビューを実施。第2回となる本記事では、オシム氏が予言していたサッカーの未来について語る。

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オシム氏が説いた「ポリバレント」の重要性

【提供:小倉勉氏】
小倉 勉

オシムさんは、10年後のサッカーはこうなるんじゃないか、という予測の元に、色々なことをやっていかないといけないと考える人でしたね。当時から、今でいう一人の選手が複数のポジションをこなせるというポリバレントな能力の重要性を説いていました。例えば、ジョーカーの使い方であれば、我々の従来のジョーカーに対する考え方というのは、途中から出場して得点を奪う、ターゲットになる、というようなスーパーサブのことでした。でも、オシムさんの言うジョーカーは、ボランチの選手がサイドバックに入る、だとか、サイドバックの選手を前線にコンバートできる、だとか、複数の選手を投入しなくても、一人で色々なポジションをこなせる選手のことなんですよね。

城福 浩

確かに、世界ではシティのカンセロやアレクサンダー・アーノルドのようにサイドバックにフォーカスされているけれど、オシムさんは当時から、サイドバックが時にはウィングのようにプレーすることを要求していたし、システムを変えたらそのポジションのタスクを遂行してチームとして変化をもたらすことをジェフで提示していたからね。

オシム氏の予言が「まさに今そうなっている」

小倉 勉

オシムさんがよく話していたのが、技術があって、チームで一番うまいと言われる選手も走らなければならない、ということですね。司令塔で立ち止まってプレーするのではなく、そういう選手を攻守に走らせ、戦わせるというのは、非常に難しい。でも、今この時代では、世界でトップを走るチームが、まさに今そのようになっているじゃないですか。そう考えると、その当時の先見の明、先を見る鋭さは、オシムさんの凄さだなというのは改めて感じています。当時から僕に「近い将来、ゾーンディフェンスとマンツーマンディフェンスの併用が、オールコートマンツーマンになるぞ」と言っていましたし。

城福 浩

そうそう。あとは、GKも足技がキーになるぞって言ってたもんね。

小倉 勉

当時ジェフの時も、オシムさんの掲げるサッカーを90分間持続させるのは難しいという意見がありましたし、城福さんとチームを作っていた時も、実際はDFではない選手を最終ラインに置いたら、アジアで優勝どころか予選突破は難しいんじゃないか、ボールを握れない時は勝負どころで対処出来ないのではないか、と懸念や不安視されてましたよね。でも、今振り返ると、そういう選手が主戦場とは異なるポジションでプレーして、尚且つ攻撃では持ち味を活かしてボールを握れるサッカーを展開できたと思いますし、オシムさんの話は当時の昔話ではなく、今現在でも大いに参考になっているし、未来を予言していたんですよね。常にサッカーの本質を見極めて考えていたんだと思いますね。

城福 浩

オシムさんは日本で監督をやりながらも、ずっと欧州のサッカーをチェックしていたんだよね。

小倉 勉

僕らが寝ている時にヨーロッパのサッカーを観られていて、その試合の話を翌日にされて、僕らが観てなかったら、「君達は、本当にプロのサッカー指導者なのか?」と(笑)当時は練習もあるし、夜は寝て朝に備える生活でしたが、オシムさん、いつ寝ているのかな?と疑問に思うくらいでしたね。サッカーから逆算した生活を過ごされていて、それから僕達もできるだけ夜中のヨーロッパの試合を観るようになりましたね(笑)

オシム氏は「人を残すことを大事にしてくれた」

小倉 勉

外国人監督は普通、コーチ陣とセットでやってくることが多くて、トルシエさんや、ザックさん、ハリルさんもそうでしたけど、スタッフを日本に連れてきていました。でも、オシムさんは1人でやってきた。すぐ結果を追い求めて偉業や伝説を残すというより、日本人スタッフと共に作り上げていくことで人を残すことを大事にしてくれたことが、オシムさんの一番の魅力なんじゃないかなと。

城福 浩

オシムさんはユーゴスラビアという国家が崩壊して行くプロセスの中での監督業だったよね。チームに逆風しか吹いてない中、W杯予選、本戦を戦い、その2年後のユーロで優勝候補に挙げられながらも辞任、チームも出場資格剥奪、と民族紛争に巻き込まれた想像を絶する経験をされた後、極東の日本にやって来てジェフでチームを立て直してる最中に日本代表監督に就任して、志半ばで倒れてしまった…。あれだけ偉大な人が順風満帆な道を歩んできたかというと、決してそうではないんだよね。それでも、これほどまでにサッカー界で特別な存在になった。最後の最後まで、オシムさんは現場で戦う意欲を示していたし、苦難を強いられた局面がたくさんあった中で、サッカーのあるべき姿、サッカーの目指すべき先をブレなく示し続けたことで、皆に感銘を与えることができる存在だった。

小倉 勉

目に見える功績を残しても、その人自身が去ったら、その後は何も残らないこともあるじゃないですか。でも、オシムさんの存在って、短い期間だったとしても、ジェフや日本代表で、それは僕と城福さんも含めてになりますけど、人を残すんですよね。そういう人たちが、日本代表のメンバーになったり、Jクラブの指導者になったり。そうやって導くことのできる人間って、そうそういないと思います。

城福 浩

ヨーロッパの大きな舞台でチャンピオンに5回なりました、W杯でも優勝しました、というキャリアを歩んできたわけではない。それでも、サッカーを愛する全ての人々の記憶に刻み込まれているというのが、生きていて勇気をもらえる。オシムさんは亡くなったけれど、オシムさんと交流があったサッカー関係者は、自分なんてまだまだやらなきゃダメだって、おそらくそう思っている人はたくさんいるんじゃないかな。苦労を言わせたら、あの人の右に出る人はいないだろうから。そんな人が、これだけ色々なものを残してくれたのは、感謝しかないし自分なりの恩返しをサッカーでしないと、という気持ちになるよね。

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ジョータツ

「Off The Ball」編集長。 大手サッカー専門メディアに過去6年配属。 在籍時は、高校サッカー・J1リーグを主に担当。 「DAZN」企画でドイツ・スペインへの長期出張で現地取材を経験。 人生の転機は、フェルナンド・トーレスの引退会見で直接交わした質疑応答。 趣味はサウナ。

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ジョータツ