イビチャ・オシム氏がこの世を去った。80歳だった。ジェフユナイテッド市原(現千葉)、日本代表を率いたオシム氏は、日本サッカー界に確かな変革をもたらした。U-17日本代表監督の時代にオシム氏と多くの言葉を交わした城福浩氏、ジェフ市原・日本代表ともにオシム氏の元でコーチを務めた小倉勉氏も、そんな名将から大きな影響を受けたサッカー人の1人だ。「Off The Ball」はU-17日本代表で共闘した城福浩氏と小倉勉氏による対談インタビューを実施。第1回となる本記事では、約20年前まで遡るオシム氏との出会いについて語る。
キャンプ直後にオシム氏が一言「キャンプをやろうか」
2003年シーズンの最初に監督としてオシムさんがやってきたんですが、当時ジェフは監督が決まっていなくて、僕とコーチ陣だけで先に韓国へキャンプに行っていました。その後に、クラブとオシムさんが契約して、オシムさんが直接韓国に来られました。あまり話さず、練習を見て確認していたのですが、それまで3週間くらいキャンプをやっていたにも関わらず、キャンプの最後のミーティングで、オシムさんは「さぁ、帰国してキャンプをやろうか」と言ったんですね。オシムさんの体制はそうやって始まったんです。凄い人がやってきたな…というのが第一印象でした。
当時ジェフが下位でもがいている状況から、オシムさんが推し進めた人とボールが動くサッカーへと変貌していく中、小倉がコーチを務めていたわけだけれど、2004年当時、小倉は日本サッカー協会にも少し関わっていたよね。トレセンコーチで、小倉が関西で、俺が関東を担当していたわけだけど、その時にオシムさんの話もずっと聞かせてもらっていた。その後に、田嶋さんからU-17日本代表監督の打診をされ、これまでアジアで全く勝てていなくてW杯にも行けていない、非常に厳しい戦いであることはわかっていたが、どうせやるのなら、ジェフのようなサッカーをやりたいということで、コーチに小倉を指名したんだ。
オシム氏がいなければ「今の指導者人生はなかったかも」
2005年はジェフに在籍しながら、城福ジャパン(当時U-15日本代表)に合流しました。城福さんがコーチとして僕を呼んでくれたわけですが、オシムさんのところにも来てもらい、オシムさんと話してもらって、コーチを兼任する許可をいただいたんです。
当時のJFAでは、あの世代の監督がコーチを指名するというのが、おそらく前例になかったことで、しかも外国人監督であるジェフでコーチを務める人材を引き抜くというのは、JFAとしても非常にハードルが高かった。JFAはフル代表からアンダーカテゴリーまで選手を借りる側でJクラブには気を遣っていたから。でも俺は「どうしても小倉と一緒にやりたいから、自分が直談判しにいきます」と断りを入れて、ジェフの練習場に行って、オシムさんに頼んだ。今考えたら、監督としてヨーロッパからコーチを連れて来ないで単身で日本のスタッフと試行錯誤して来て、このメンバーで戦い抜くぞと団結してきた中で「一人引き抜かせてくれ」なんて、多分あの時俺自身にJリーグ監督の経験があったら、怖くて頼めなかったと思う。当時はその怖さを知らなかったから頼んでしまった。「ジェフのサッカーをU-17日本代表でやりたいから」と訴えたら、オシムさんはしばらく黙って聞いていて、「それは日本のサッカーにとって良いことじゃないか」と言ってくれて、オシムさんの了承を得ることができたから、小倉とタッグを組むことが叶った。アジアで優勝してW杯に行けたこともそうだがそれ以上に、当時所属でSHやFWだった高橋峻希(現長崎)や吉田豊(現名古屋)を代表でSBにコンバートして攻撃的な志向、布陣を貫いて、その後のU-17年代のアジアや世界での戦い方に一石を投じることが出来たことが大きかった。オシムさんが小倉を出してくれたことで、恩義もあったし、覚悟も固まったんだと思う。オシムさんがいなければ、あのU-17のチームも存在しなかったし、今の指導者人生もなかったかもしれない。
オシム氏の言葉に「勇気をもらった」
2007年に、オシムさんが日本A代表に就任することになって、僕は最初城福さんのチームだけだったんですが、A代表と兼任してくれないかという話になり、その時にも城福さんとオシムさんでやりとりしてもらって、U-17代表とA代表のコーチを兼任する形になりました。そのまま2010年の南アフリカW杯に向けて、という段階で、オシムさんが倒れてしまい…。オシムさんと一緒に仕事をするのはそこで終わることになりました。
ちょうどU-17代表の韓国大会をやる年に、オシムさんがA代表に就任して。その時に、オシムさんが小倉を指名したというのは、俺はすごく嬉しかった。あと、日本サッカー協会史上初めてだと思うんだけれど、当時我々のU-17代表のキャンプに、U-20代表や五輪代表の全カテゴリーの世代別代表の関係者が集まった。一番下のカテゴリーのキャンプを見ながらミーティングを開こうと、オシムさんが、そういうことをやっていこうと声を上げたのは画期的なことだったなと。U-17代表のW杯の試合も全部見ていてくれたし、終わった後、オシムさんにコメントを求めて訪れた時も、当時優勝したナイジェリアに0-3で負けたのだけれど、「ナイジェリアは17歳の時が一番強いんだ。彼らは今後ヨーロッパに挑戦することになるが、大金を手にした時の難しさを目の当たりにする。その最も強い世代のナイジェリアにあれだけ食らいついたのなら、上等なんじゃないか」と言ってくれて。完敗したんだけれど、そのオシムさんの言葉に勇気をもらった。オシムさんは、自分が目指したいサッカーの後押しをしてくれた