リバプールの主将を担っていたイングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソン。偉大なレジェンドである元イングランド代表スティーブン・ジェラード(現アル・イテファク監督)からキャプテンマークを託されたことは、ユルゲン・クロップ監督が「500年の歴史で最も困難な仕事」と表現するほどの重圧だったが、周囲の懸念を一蹴する活躍を残しており、クラブの歴史に名を残す存在となった。そんなヘンダーソンのプレースタイルやこれまでの歩み、そして元チームメートの日本代表MF南野拓実にも示したキャプテンシーを紐解いていく。
生年月日 | 1990年6月17日 |
国籍 | イングランド |
所属クラブ | アル・イテファク |
ポジション | MF |
身長 | 182cm |
利き足 | 右足 |
経歴 | サンダーランドAFC →コヴェントリー・シティFC(loan)→リバプールFC→アル・イテファク |
4-2-3-1システムのインサイドハーフが主戦場となるが、アンカーの位置でも遜色ないパフォーマンスを発揮する。フォア・ザ・チームを率先する無尽蔵な運動量と泥臭い献身性を備える。リバプールには、オランダ代表DFフィルジル・ファン・ダイク、スコットラン代表DFアンドリュー・ロバートソンら各代表で主将を務める選手が集っているが、そんな彼らがこぞってヘンダーソンのリーダーシップを絶賛するほど、チームメートから信頼の厚いキャプテンとしての立場を確立している。
クロップ監督が掲げる“ゲーゲン・プレス”を体現する存在で、チームがボールをロストした際、電光石火のハイプレスを徹底するヘンダーソンの姿は、一時代を築くクロップ・リバプールを象徴する真髄と言える。また、長短のパスによるビルドアップの能力もトップレベルで、前線に放り込む高精度のダイレクトパスで数多くのゴールをお膳立てしている。
体を張った守備や果敢な球際のデュエルが持ち味である一方、その反動でフィジカルにかかる負荷も一際大きく、チームの中でも負傷離脱が多い一面もある。ヘンダーソン欠場の試合は攻守において活気の欠ける展開が目立つことからも、キャプテンの存在がいかにリバプールにとって重要なものであるかを物語っている。
プレミアリーグ2021-22シーズン第14節エバートン戦(4-1)では、ヘンダーソンが先制点を奪取して迎えた前半19分のシーン。自陣でボールを拾ったヘンダーソンは前線のスペースを確認すると、間髪入れずに右足のダイレクトパスを送り込む。絶妙なスペースを突いたスルーパスが走り込んだエジプト代表FWモハメド・サラーにピンポイントで供給され、追加点を演出した。
両者のホットラインはこれまでも数多くのゴールを生み出しており、同シーズン第9節マンチェスター・ユナイテッド戦(5-0)の後半5分にも、中盤でボールを奪取したヘンダーソンは、自陣から絶妙なカーブを描く右足のアウトサイドパスを送り込み、走り込んだサラーがネットを揺らしている。
【引用:リバプール公式Twitter】
また、時折レジェンドのジェラードを彷彿とさせる強烈なミドルシュートを叩き込む一面も見せる。プレミアリーグ2016-17シーズン第9節チェルシー戦(2-1)では前半39分、ボックス外にクリアされたボールを拾ったヘンダーソンが右足を振り抜き、強烈なドライブシュートをゴール右上に突き刺した。ベルギー代表GKティボ・クルトワも触れることのできない超絶ゴラッソとなった。
【引用:リバプール公式Twitter】
2008年にサンダーランドでプロデビューを果たしたヘンダーソンは、翌シーズンにコヴェントリーへレンタル移籍。武者修行から帰還すると、20歳の若さでサンダーランドの主力に定着した。
2011年に期待の新星としてリバプールへと加入するも、立て続く負傷でチームに貢献することができず、翌シーズンには当時指揮官を勤めていたブレンダン・ロジャース監督から直接移籍先を探すよう促され、事実上の“戦力外通告”を受けていた。それでも残留を決断したヘンダーソンは、苦境にも腐らず打ち込むうちに、徐々に出場機会を与えられ始め、14-15シーズンに副主将に抜擢される。15-16シーズンには、リバプールの象徴的存在であり、絶対的な主将を務めていたジェラードが退団したため、ついにキャプテンマークを託されることになった。
同シーズン途中で就任したクロップ監督からは絶大な信頼を寄せられており、クロップ監督のサッカーを体現する存在として活躍。チームも着実な成長を遂げ、18-19シーズンには14年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成した。さらに、19-20シーズンには、悲願となるプレミアリーグ優勝を成し遂げ、30年ぶりとなるリーグ制覇の立役者となった。プレミアリーグ創設以降はクラブ初の優勝となり、リバプールの歴史的局面でヘンダーソンは優勝トロフィーを掲げている。
2023年7月27日にサウジアラビアのアル・イテファクへと移籍することが発表された。アル・イテファクはスティーブン・ジェラードが7月3日から監督を務めており、リバプールでキャプテンマークを託した男を引き抜く形となった。
ヘンダーソンは気迫溢れる闘将としても知られている。ジェラード在籍時は、ダブルボランチやインサイドハーフの相棒を務めることも多かったが、ベテランの域に差し掛かったジェラードが少しでもプレッシングを怠る姿勢を見せるや否や、若手のヘンダーソンが怒鳴りつけるシーンもあった。リバプールの偉大なレジェンドに対しても物怖じしないスケールの大きさを当時から垣間見せていた。
当時、ロジャース監督が愛弟子のウェールズ代表MFジョー・アレンを獲得し、主力として重宝。出番が激減したヘンダーソンは「次の移籍先を探してもいい」とロジャース監督から面と向かって“戦力外通告”を受けたが、ヘンダーソンは「ここに残り、戦い、あなたが間違っていたことを証明したい」と回答した。毎日のようにスタッフ、チームメート、栄養士に自らの課題を尋ね続け、居残り練習も欠かさなかった。徹底的にフィジカルを磨いた結果、攻守におけるボックス・トゥ・ボックス型のセントラルMFとして飛躍を遂げることになる。有言実行で見事に主力の座を勝ち取ってみせ、ロジャース監督には会見で「私が間違っていた」と言わしめた。また、優勝争いの中、累積警告で欠場することになるも、アウェイ帯同を志願。ロッカールームで「この試合のメディア対応は全て自分が対応する。だから、皆は試合だけに集中してくれ」と、ピッチ外でも模範的な姿勢を示している。
リバプールがプレミアリーグの優勝セレモニーで、在籍選手が変わるがわるトロフィーを掲げる中、シーズン途中で加入したばかりの南野は、チームの輪に入り込めず、外から傍観していた。それに気づいたヘンダーソンは、南野の元へ足を運び、背中を押してトロフィーを掲げさせた。チーム全体を気にかけるヘンダーソンの素晴らしいキャプテンシーが垣間見えたワンシーンとして、当時英国メディアもスポットライトを当てていた。
キャプテンとしてリバプールを引っ張っていたヘンダーソンは、14年ぶりのCL制覇、30年ぶりのリーグ制覇でともに優勝トロフィーを掲げており、文字通りクラブの歴史に名を連ねる選手となった。ピッチ内外で模範的な存在としてあり続け、フォア・ザ・チームを最優先に泥臭い仕事も惜しまず、また華麗なプレーでチームを勝利に導く、クロップ・リバプールにとって不可欠なキャプテンとして不動の地位を築いている。2023年夏にサウジアラビアのアル・イテファクへと移籍したが、将来的には、監督としてリバプールに帰還し、チームを率いる姿を、もしかしたら目にすることがあるかもしれない。