関塚隆のプロフィール
鹿島アントラーズ コーチ
清水エスパルス コーチ
川崎フロンターレ 監督…J2優勝
U-23日本代表 監督…ロンドン五輪ベスト4
ジュビロ磐田 監督
ジェフユナイテッド千葉・市原 監督
日本サッカー協会 技術委員長
日本代表が優勝候補スペインを撃破した事例が、過去に一度だけある。2012年に開催されたロンドン五輪だ。当時のメンバーは、現在も世界最高峰の舞台で活躍するワールドクラスの面々だが、日本は見事な“ジャイアントキリング”を成し遂げた。U-23日本代表を指揮し、ロンドン五輪でベスト4進出を成し遂げた関塚隆氏は、大金星へと導いた“スペイン対策”を振り返っている。
ロンドン五輪でスペインは間違いなく優勝候補の一角だった。しかし、初戦の日本戦を0-1で落とすと、続くホンジュラス戦も0-1で黒星。モロッコ戦も0-0に終わり、蓋を開ければ未勝利でグループリーグ敗退を喫する格好となった。一体何があったのか?関塚隆氏は、ほぼ同じ時期に開催されていたEURO大会の影響を指摘している。
スペインは、同年に開催されたEUROで優勝したが、そこから2週間もしないうちにジョルディ・アルバ、フアン・マタ、ハビ・マルティネスなんかは五輪チームに合流する過酷なスケジュールを強いられたというのも背景にはあるだろう。EUROという大舞台で優勝という最大の目標を達成した直後に、すぐさま五輪へスイッチを切り替えなければいけないというのは決して容易くはなかったと思う。
それでも当時のスペインはW杯優勝、EURO連覇と、文字通り“無敵艦隊”として一時代を築いた。スペインと言えば、ポゼッションを支配するパスサッカー戦術の“ティキ・タカ”だが、関塚隆氏はまず、スペインのパスサッカーの起点を潰すべく、ハビ・マルティネス封じに着手したという。
スペイン戦は、最前線を永井謙佑にして、トップ下に東慶悟を配置した。従来のやり方であれば、東をアンカーのハビ・マルティネスにつけて、謙佑はもっと前でボールを追わせるところだが、あの試合は謙佑をハビ・マルティネスにつけた。そこのコースを断ち切らせたうえで、どちらかのサイドバックにボールが入った瞬間をスイッチにして連動させていくという戦術で、相手が得意とするビルドアップを自由にさせない狙いがあった。
当時は、スペインの圧倒的な攻撃力を抑え込むべく、自陣にブロックを敷いて対応する対戦相手が目立っていた。しかし、それにより大半のスペースをスペインに譲り渡してしまうことで、結果的には守備網が剥がされ続けてゴールを許してしまうケースが多かった。そこで関塚隆氏は、スペイン陣地で圧力をかける戦術を取り入れた。
どうしても後ろに引いてしまったら、スペインはスペースで数的有利を生み出して剥がしていくだけの力があるから、シュートまで持っていかれるのは間違いなかった。なので、最初のビルドアップのところからプレッシャーを掛けるのは臆することなくやっていこうと。圧倒的なスピードのある謙佑がアンカーや最終ラインに対して徹底してプレッシングするというのは、スペインとしても非常にやりにくかっただろうと思う。
今でこそ前線からのハイプレスはサッカー界の常識となっているが、当時はまだスペインの“ティキ・タカ”への対策が模索されている段階で、ユルゲン・クロップ監督がドルトムントで体現していた“ゲーゲン・プレス”が斬新な戦術として注目されていた時代だった。
一方、関塚隆氏自身が、そのようなポゼッションサッカーへの打開策としてヒントを得たのが、2009年当時に川崎フロンターレの指揮官として臨んだ、サンフレッチェ広島戦だったという。
ミハイロ・ペトロヴィッチ率いるサンフレッチェ広島と対戦した時に、相手は5レーンに選手を置く4-1-5のようなシステムで、アウェイの試合では私は4-3-1-2で臨んだんだけれども、全然はまらなかったんだよね。幅を相当使われてしまった。それを踏まえて、ホームのリターンマッチでは、前から広島の守備陣にプレッシングを掛ける戦術に切り替えたところ、相手に退場者が出たこともあり、大差で勝利することができた。うまいチームに対して引いてはダメなんだなというのは、あの広島との試合で学んだことだった。
カタールW杯に招集されたメンバーの中では、前田大然が当時の永井謙佑に最も似通ったプレースタイルと言えるだろう。森保一監督も、自陣から細かくボールを繋いでくるスペインを相手に、前田大然のスピードと運動量に突出したハイプレスというプランを見据えているのかもしれない。
一方、関塚隆氏は、スペインと対戦することを逆算して当時のフレームワークにしたわけではなく、招集したメンバーの能力を最大限に引き出すことのできるフレームワークを採用した結果、それがスペインにやりにくさを感じさせることのできる戦術が可能となったとも言及している。
謙佑を最前線に置くというのは、全体的に引いて、謙佑のスピードを活かした一発を狙いにいく。ということではない。相手の攻撃の芽を摘むために、謙佑のスピードを活かすという狙いがあった。でも、それが日本というチームが進むべき方針というわけではない。あの時の、あの五輪のチームの選手を鑑みると、そういったサッカーが一番適していたというだけで、それが結果的にスペインにとって苦手とするようなスタイルだった、ということかなと。
日本はカタールW杯で強豪スペインとの対戦を控えているが、ロンドン五輪でスペインを絵撃破した関塚隆氏は、当時最前線に配置されていた永井謙佑に、スペインのアンカーへと圧力をかけるプランを遂行したことで、相手の得意とするパスサッカーのリズムを生み出させず、結果だけでなく、試合内容も互角以上の戦いを演じることができたと振り返っている。
パスサッカーを攻略するヒントは、川崎時代に対戦したペトロヴィッチ体制の広島戦にあったと明かした一方、当時はスペインのみを意識したフレームワークにしたわけではなく、招集したメンバーの最大値を引き出すためのチーム作りを進め、結果的にそれがスペインと戦ううえでの最善策となったとも主張していた。カタールW杯のグループリーグ第3節で日本はスペインと対戦するが、どのようなプランや対策を施してくるのか必見だ。
鹿島アントラーズ コーチ
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