ブラジル代表FWアントニー・マテウスは恩師テン・ハグ監督のラブコールに応える形でマンチェスタ・ユナイテッドに加入。2000年生まれとまだ若いプレーヤーながらその実力は欧州でも高いレベルにあり、ブラジル代表としてオリンピックで金メダルを獲得し、今ではセレソンの一員に名を連ねている。アヤックスで中心選手として活躍し、テン・ハグ監督がその才能に太鼓判を押すアントニーは、一体どのような選手なのか?彼の人間性を示すエピソードも交えて本記事で紹介する。
アントニーの基本プロフィール
生年月日 | 2000年2月24日 |
国籍 | ブラジル |
所属クラブ | マンチェスター・ユナイテッドFC |
ポジション | FW |
身長 | 172cm |
利き足 | 左足 |
経歴 | サンパウロFC→アヤックス・アムステルダム→マンチェスター・ユナイテッドFC |
アントニーのプレースタイル
アントニーは左利きながら右ウイングでプレー。そのため、サイド奥からクロスというよりも、中に切り込んでシュート、または内巻きのクロスを強みとしている。
プレーする姿はまさしくブラジルの軌跡―ネイマールやロナウジーニョなどセレソンの先輩を思い出させる。細かく華やかな足元の技術、相手を騙す軽やかな体の動き。「フットボールを楽しむ」気持ちが至るところで感じられる。
右サイドでボールを受け取れば前を向き、対峙しようとする相手DFへ果敢に勝負を仕掛ける。その結果ボールロストすることも少なくはないが、体全体を使った駆け引きで相手守備陣を欺き、自らの技術や味方との連携で切り開いた中央のスペースへ侵入する。こうなってしまっては後は彼のなすがままである。GKの届かないコースへのミドルシュートが飛ぶか、中で待つ味方へのパスが飛ぶか。相手はどこがアントニーの標的となるかを見守り、最後の砦に運命を任せる他ない。
また、アントニーは魅せる派手なテクニックに注目が向きがちだが、DFを突破するためのフィジカルも十分なものがある。きついプレスを受けても強引に抜き切る強さも兼ね備えており、非常に厄介な選手といえよう。
オランダ・エールディヴィジではこの能力を遺憾なく発揮して2021-22シーズンでは23試合で8ゴール4アシストを記録。またセレソンの一員としても南米の舞台で早速2得点と、その実力を示している。
アントニーのスーパープレー
2021-22シーズンのフォルトゥナ・シッタート戦では、右サイドでボールを受けると、体の動きと足元の細かい技術で寄ってきた相手守備2人をかわしながら中央へ侵入、空いたシュートコースを見逃さずに左足を振り抜きゴール。アントニーの得意なプレーが見事に炸裂したシーンである。
またチャンピオンズリーグのドルトムント戦では、対峙したドイツ代表DFエムレ・ジャンを緩急をつけたドリブルで翻弄し、空いたコースへシュートを打ち抜きゴール。勝利を決定づける3点目を決めた。
アントニーのキャリア
2010年にサンパウロFCのユースチームに加入する。2018年には「Jリーグ U-17チャレンジカップ」にサンパウロU-17として来日している。同大会では優勝し、アントニーは最優秀選手に選ばれた。翌年にトップチームへ昇格し、11月にプロ初出場を果たした。翌年7月には初得点を記録し、サンパウロの主力として活躍する。このブラジルでの活躍が欧州の目に留まり、2020年2月にアヤックスと移籍金約1700万ドル、7月の移籍で5年契約を結んだ。この時まだアントニーは19歳であった。
アヤックスでは同年にチェルシーへ移籍したツィエクの後釜と紹介されることもあり期待値は高かった。その期待にこたえるように開幕戦からスタメンに名を連ね、さらに試合の決勝点となる得点を前半37分に記録。欧州の舞台でも通用する実力が十分にあることを早々と示した。その後も安定した活躍を見せ、チームのリーグとカップの国内二冠に大きく貢献した。2021-22シーズンは終盤で怪我に見舞われたものの、この活躍によりビッククラブからの熱い視線が注がれている。
代表では2019年6月にU-23代表としてトゥーロン国際大会でデビュー。日本代表と対戦した決勝では先制点を決めるなど活躍を見せた。東京五輪ではブラジル代表として全試合に先発出場。決勝戦ではアシストも記録して金メダルを獲得。ブラジルのオリンピック連覇に貢献した。
五輪を終えると、ワールドカップ予選のベネズエラ戦でA代表での初出場を果たし、更にアディショナルタイムで初得点を記録。セレソンとしても華々しいスタートをきったアントニーは、サッカー王国の代表の一員に早速定着している。
2022年8月30日、恩師テン・ハグ監督が就任したマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決定した。
アントニーのエピソード
ブラジルU23代表として東京五輪で金メダルを獲得したアントニー。その喜びはひとしおだったようで、優勝から4日後、太ももに金メダルのタトゥーを入れた姿を「肌へ永遠に!」(Eternizado na pele!)とコメントを添えてSNSに投稿。記録にも、そして彼の体にも金メダルの功績が刻まれることとなった。
また、ブラジル時代に出会った6歳のサンパウロサポーターの少女、ラリッサとのエピソードは、アントニーの人間性を良く表している。治療によって髪が抜け落ちる過酷な闘病生活を送っていたラリッサに出会ったアントニーは彼女と得点を約束する。臨んだU-20の大会では有言実行のゴールを、彼女の名前の頭文字である「L」の指文字を作るゴールパフォーマンスと共に彼女に送った。また同大会決勝ではチームメイトと共に髪を剃り上げて試合に臨み、アントニーは再び得点をあげて「L」の指文字を掲げた。チームはPK戦の末優勝し、戦ったチームメイト、トロフィー、そしてラリッサと共に記念撮影に応じた。
アントニーのまとめ
アヤックスでは攻撃の中核を担っていたアントニーは、テン・ハグ監督の申し子として、その才能を開花させた。ユナイテッドに就任したテン・ハグ監督は、愛弟子アントニーの獲得を熱望し、アントニーもそれに応える形でユナイテッドに移籍。イングランドでも、師弟関係の再タッグを組むことになった。卓越したテクニックでサッカー界に強烈なインパクトを残しているアントニーは、恩師テン・ハグ監督と共に、名門ユナイテッドの再建の鍵を握ることは間違いないだろう。