現在セルティックを指揮するアンジェ・ポステコグルー監督が、横浜F・マリノスで魅せた革新的なサッカーは今でも記憶に新しい。ハイラインを敷くポジショナルプレーで、当時の日本サッカー界に大きなインパクトをもたらした。横浜FM時代にスポーツ・ディレクターとして共闘していた小倉勉氏(現・東京ヴェルディヘッドコーチ)は、ポステコグルー監督が選手やチームに伝授していた哲学を振り返っている。
ポステコグルーには当初「優勝できるサッカーではない」の声
2018年シーズンから横浜FMを率いたポステコグルー監督は、それまで取り入れていた堅守速攻の戦術から、真逆と言える超攻撃的なスタイルへと舵を切ったこともあり、1年目は残留争いに巻き込まれ、12位で終える厳しい船出に。しかし2年目には、戦術の浸透、戦術に適した選手の獲得が成就し、リーグ優勝を成し遂げた。
アンジェが日本にやってきた時に取り入れたサッカーは、日本人にとってカルチャーショックだったでしょうね。就任1年目の時は「あのスタイルでは優勝できない。日本で優勝できるサッカーではない。」とサッカーファンや関係者の皆さんに言われていた。そう言っていた人たちが、2年目のアンジェのサッカーを見て、何も言うことができなくなった。アンジェが体現する革新的なサッカーに、懐疑的だった皆さんも認めざるを得なくなったということ。
ポステコグルーと共闘する中で小倉勉が得た教訓
小倉勉氏は2017年に横浜FMへ加わり、2018年にSDに就任した中で、ポステコグルー監督と緻密にコミュニケーションを取りながら、チーム作りをサポートしていた。ポステコグルー監督との仕事は、小倉勉氏にとっても大きな学びとなったという。
私がアンジェと一緒に仕事をしていて、再認識できたこと、勉強になったことがある。まずは、自分の哲学を確立してチーム作りに取り組むべきだということ。そして、その哲学を体現しながら、きちんと成功させるということ。過去に指揮していたオーストラリア代表でも、アジアカップで優勝を達成しているし、2回もチームをW杯に送り出している。彼には、自分のサッカーで結果を残してきている成功体験がある。
ポステコグルーが選手やクラブに熱弁したスピーチ
また、小倉勉氏にとって印象深かったポステコグルー監督のスピーチがあるという。
私もアンジェから何度か聞いていて、選手たちにも伝えていたのは、「俺はこのサッカーを貫く。どれだけ酷い負け方をしても、このスタイルは曲げない。なぜだかわかるか?最終的には成功を手にできる戦術だからだ。」ということ。アンジェはただ自分のやりたいサッカーを押し付けていたわけではない。勝てる可能性が高いサッカーだから、あのスタイルを取り入れていた。「勝ちたい。だからこのサッカーをやるんだ」という信念。それを明確に選手やクラブに提示していた。
ポステコグルーの哲学は「面白いサッカーをすることではない」
当時の横浜FMも、常に安定して勝ち続けていたというわけでは決してない。大勝した試合の直後に大敗したりと、紆余曲折の中で優勝へと導いたわけだが、ポステコグルー監督には勝敗に問わずブレることのない信念があり、その信念は、これまでの監督キャリアで積み上げてきた成功体験があるからこそ貫き通すことができるものだったようだ。
チームの調子が悪い時に、「このサッカーで大丈夫なのだろうか」と不安を抱き、やり方やアプローチを色々変えるのが世の大半だと思うが、アンジェには立ち戻るべき原点と成功体験がある。繰り返しになるが、彼は、面白いサッカーだから、刺激的なサッカーだからという理由で戦術を取り入れていたわけではない。勝ちたいから、そして実際に勝ってきたから、だからこそ俺はこのサッカーをやるんだという信念を貫いていた。
小倉勉がポステコグルーに感じた「オシムさんと似た印象」
小倉勉氏はかつて、ジェフユナイテッド千葉・市原と日本代表で、故・イビチャ・オシム氏の右腕として共に仕事をしていた時期がある。横浜FMでポステコグルー監督と顔を合わせた際、オシム氏から受けた印象と似たようなものを感じ取ったという。
私は長きにわたってオシムさんと一緒に働かせてもらったが、勝つ監督には勝つメソッドがある。そして、マリノスでともに働いたアンジェも、オシムさんと同様にメソッドを持っている監督だと、会った時から似た印象を感じていた。年齢も近いし、サッカーも魅力的だし、彼に懸けて戦いたいと思った。だからこそ、アンジェの目指すサッカーに適応できる選手を獲得したり、チーム作りを支えようと、スタッフ皆で団結していた。J1とかJ2とか、そういった過去の実績にこだわらず、アンジェのサッカーにマッチする選手を日本全国で探し回った。
ポステコグルーへの信頼がクラブの中で揺るがなかった理由
1年目は、プレーオフに回ることになった16位のジュビロ磐田と勝ち点で並んだものの、得失点差で上回る紙一重の成績で危機を回避したものの、その手腕に疑問を呈する声も少なくなかった。そのような状況でも、クラブの中でポステコグルー監督のサッカーを信じ抜くことが実際できていたのだろうか?
1年目に振るわない成績に終わっても、アンジェへの信頼がクラブの中で揺るがなかった理由があった。当時はアンジェのサッカーに合う選手をクラブ側が揃えることができていなかったからね。今までAというサッカーをやっていたのを、アンジェが就任してBというサッカーに方向転換したタイミングだった。例えて言うのなら、アトレティコ・マドリードがやっているサッカーから、バルセロナのサッカーに切り替えるくらいのスタイルの違いがあった。
小倉勉がポステコグルーと常に交わした「Yes」「No」のやりとり
前述に記した通り、ポステコグルー監督が掲げるサッカーは、それまでのチーム戦術とは対極にあるベクトルを目指していた。そのため、フロントとしては目の前の結果に囚われすぎず、追い求めるサッカーを体現できる選手を揃えることを優先し、緻密にやりとりを重ねていたという。
1年目ですぐに結果を求めるのは難しいことはあらかじめ覚悟していた。アンジェ体制の3年目の時には、それ以前から在籍していた選手は3,4人しか残っていなかったはず。ようやくアンジェのサッカーを体現できる選手が揃ってきて、その年に優勝を達成した。私とアンジェの中で「この選手どう?」「No」「じゃあこの選手は?」「Yes」というやりとりは常にしていた。監督が「Yes」と言った選手だから、選手としても移籍を決断しやすかったと思う。監督自身が求めてくれるというのは、やはり選手にとっても大きいので。
小倉勉が語るポステコグルー【前編】 のまとめ
2018年シーズンから横浜FMに就任したポステコグルー監督は、1年目こそ12位と厳しい結果に終わったが、2年目には見事なJ1優勝を達成した。就任当時は、その革新的な手法に懐疑的な声も寄せられていたが、ポステコグルー監督は選手やクラブに対し、「この戦術を取り入れるのは、面白いサッカーだからではなく、勝てる可能性が最も高いサッカーだからだ」と、勝利への執念から逆算されたスタイルであることを力説していた。
SDとして横浜FMで共闘していた小倉勉氏は、勝利へのメソッドや哲学を確立しているポステコグルー監督に対し、オシム氏と似た印象を感じたと振り返っており、揺るがない信頼を持ってサポートに徹底することができたと語っている。後編では、ポステコグルー監督が横浜FMで体現した攻撃的なポジショナルサッカーの真髄について取り上げる。
※当記事のインタビューは2022年6月4日に実施したものです。
小倉勉のプロフィール
U-17日本代表 ヘッドコーチ… AFC U-17選手権優勝
日本代表 コーチ… 南アフリカW杯ベスト16
U-23日本代表 ヘッドコーチ…ロンドン五輪ベスト4
大宮アルディージャ 監督…J1残留
ヴァンフォーレ甲府 ヘッドコーチ…J2優勝
横浜F・マリノス SD…2017年〜2022年
東京ヴェルディ ヘッドコーチ…2022年〜現在