FCバルセロナの下部組織(カンテラ)で育った日本代表MF久保建英は、レアル・マドリードCFに“禁断の移籍”を果たし、レアル・ソシエダへと活躍の場を移した。スペインの2大クラブに所属した初めての日本人であり、幼き頃から将来を有望視され、日本で最も注目される選手の1人である。そんな久保のプレースタイルやこれまでのキャリア、エピソードを紹介していく。
久保建英の基本プロフィール
生年月日 | 2001年6月4日 |
国籍 | 日本 |
所属クラブ | レアル・ソシエダ |
ポジション | MF |
身長 | 173cm |
利き足 | 左足 |
経歴 | FC東京→横浜F・マリノス(loan)→レアル・マドリードCF→RCDマジョルカ(loan)→ビジャレアルCF(loan)→ヘタフェCF(loan)→RCDマジョルカ(loan)→レアル・ソシエダ |
久保建英のプレースタイル
メインポジションは右のWG・SHで右サイドからのカットインドリブルを得意とする。スピードもありつつ細かなタッチでボールを運び、上半身を上げた状態で常にルックアップしているため、相手にボールを奪う隙を与えない。また、ルックアップしていることで、味方のポジショニングや動き出しに素早く反応することが出来るため、効果的なパスを出せる選択肢もある。久保と対峙する相手からすると、プレーの的を絞りにくく、やりにくい選手と言える。キック精度も良く、現在所属しているマジョルカではフリーキックやコーナーキックのキッカーを務めることも多い。そのプレースタイルとバルセロナのカンテラ育ちということもあり、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシと比較されることもしばしば。各メディアから「日本のメッシ」と称されることもある。
課題としてはディフェンス力がよく取り上げられる。相手DFへプレスをかけた際にボールを奪い切るまで至らないことが多いことや、運動量が足りないと感じることがある。Jリーグのチームに所属していた時からこの課題は挙げられており、久保はこの課題に向き合って成長してきた。活躍の場をラ・リーガに移した現在では、相手が格上のチームの場合、どうしても守備的な戦術になることが多く、よりフィジカルやディフェンス力が高い選手がスタメンに入ることも多くなってしまう。そう言った試合であってもコンスタントにスタメンで出場するためにより一層の成長が求められている。
久保建英のスーパープレー
2020年7月3日ラ・リーガ34節のアトレティコ・マドリード戦でのキレキレドリブル。3人に囲まれながらもダブルタッチ等を駆使して相手を翻弄した。このドリブルで相手陣内のタッチラインまで侵入し、ウルグアイ代表DFホセ・ヒメネスがなんとか食い止めたが、ヒメネスはボールを叩きつけ怒りを露わにするほどであった。
2022年1月15日コパ・デル・レイ4回戦RCDのエスパニョール戦で魅せたフリーキックゴール。ゴールに向かってやや右サイドと、左利きの久保にとっては良い位置で得たフリーキックにて、直接ゴールを奪った。相手の元スペイン代表GKディエゴ・ロペスがボールに触れることすら出来なかったほど素晴らしいコースへのキックだった。
久保建英のキャリア
出身は神奈川県川崎市。3歳でサッカーを始め、6歳の頃には「バルセロナの選手になりたい。」と口にしていたという。8歳の時に、MVPに選出された選手はバルセロナと試合ができるチャンスが与えられるバルセロナキャンプに参加し、見事MVPを獲得。翌年ベルギーで行われたソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップにバルセロナのスクール選抜として参加。チームは3位だったが、大会のMVPに選ばれた。10歳の時にバルセロナのカンテラ入団テストを受け、見事合格。当時所属していた川崎フロンターレの下部組織を退団し、スペインへ渡った。
2013‐14シーズンに地中海カップU-12トーナメントで大会得点王とMVP。リーグ戦では30試合で74ゴールと将来を期待される活躍を見せた。このまま順調にバルセロナでの将来を期待されていたが、事件が起きる。バルセロナがFIFAから18歳未満の外国人選手獲得・登録違反による制裁措置を受け、この影響により久保は18歳になるまで公式戦出場停止処分が続いたため、日本への帰国を決意。2015年3月にFC東京の下部組織に入団する。
2016年、15歳にして高校生カテゴリーの日本クラブユースサッカー選手権に出場し、大会史上初、中学生で得点王となる。その年にFC東京のトップチームに2種登録され、11月5日、J3のAC長野パルセイロ戦に後半開始から途中出場し、Jリーグの最年少出場記録を塗り替えた。4月15日、J3のセレッソ大阪U-23戦で15歳10ヶ月11日でJリーグ最年少得点も塗り替えた。
2017年11月1日にFC東京とプロ契約。11月26日、サンフレッチェ広島戦でJ1デビュー。このまま試合にで続けると思われたが、当時の長谷川健太監督から、さらなる守備時の運動量を求められ、徐々に出場時間が減少し、J3での出場が増える。この状況に危機感を感じた久保は環境の変化を志願し、横浜F・マリノスへローン移籍。2019年にFC東京に復帰すると、守備意識と運動量の成長を見せ、コンスタントに試合に出場した。
そして、2019年6月14日にレアル・マドリードへの移籍を発表。バルセロナへの復帰も考えたが、より条件面で優れていたレアルへの移籍を決めた。その後は、マジョルカ→ビジャレアル→ヘタフェ→マジョルカとローン移籍をし、ラ・リーガでの出場を重ね、レアルのトップチームでの出場を目指している状況である。第1次マジョルカ時代の2019年11月10日のビジャレアル戦では18歳5年6日で4大リーグにおけるアジア人最年少ゴールを決めている。
日本代表には、2019年5月3日のキリンチャレンジカップにて初選出。21世紀生まれの選手がA代表に選出されたのは史上初であった。6月9日キリンチャレンジカップのエルサルバドル戦にて後半22分から途中出場し、A代表初出場を果たしている。
2022年夏、レアル・ソシエダへと完全移籍。一方、契約にはレアル・マドリードが保有権の50%を保持する条件が含まれており、今後の買い戻しが可能な措置を取っている。
久保建英のエピソード
久保は向上心が高く、負けず嫌いであるということが分かるエピソードを紹介する。バルセロナのカンテラを退団せざるを得なくなり、日本に帰国して所属したFC東京の下部組織の試合で、スタメンから外されたことが1度あった。その試合後に久保は、チームの監督を呼び、「なぜ自分は出られなかったのか?」と質問した。その後、話は約1時間にも及んだという。スタメンでは無かった理由を知り、その問題点を解決しようという姿勢と、スタメンでは無かったことへの悔しさ、よりサッカーが上手くなりたいという欲求により、この行動へ至ったのであろう。
久保建英のまとめ
幼き頃から存在を注目され、スペインの地で成長し、紆余曲折ありながらもレアル・マドリードと契約するまでとなった久保は日本代表の将来を担っていく存在である。現在はレンタルを繰り返しながら、自身のプレーの質を高め続けているが、近い将来レアルのトップチームで試合に出場し、活躍している姿を見る日が来るであろう。今後も彼のプレーや成長から目が離せない。いや、日本のサッカーファンとしては目を離してはいけない存在だ。