ゼリコ・ブバチという名前を耳にしたことはあるだろうか?おそらく、リバプールサポーター、そして、ドルトムントサポーターにとっては懐かしい響きかもしれない。ブバチはかつて、マインツ・ドルトムント・リバプールで敏腕コーチとしてユルゲン・クロップの右腕を務め、“クロップの頭脳”とも呼ばれた存在だ。
今季のリバプールはシーズン序盤から苦境に立たされている。サイクル終焉の訪れを映し出す結果となっているが、そのサイクルを築き上げた重要人物こそブバチであり、現在の不調ぶりは、ブバチの遺産が底を尽きたことを意味するのではないだろうか。
(text by Jofuku Tatsuya)
クロップとブバチによる“2人で1つ”のチーム作り
クロップは2015年10月にリバプールに就任。的確にチーム改革を進め、2019-20シーズンには14年ぶりのUEFAチャンピオンズリーグ制覇、2020-21シーズンは30年ぶりとなるリーグ優勝を達成。クロップの代名詞である“ゲーゲン・プレス”で、文字通り黄金期を築いた。
クロップ自身は稀代のモチベーターとして知られているが、ジョゼップ・グアルディオラのような緻密な戦術家ではない。連動的に機能するハイプレスと規律が徹底されたハイラインは、戦略家ブバチがチームに浸透させたスタイルだった。どのようにプレスをかけ、どこでボールを奪い、どこのスペースを使うのか、細かな粒度で落とし込む。言わば、ピッチ外のコントロールをクロップが、ピッチ内のコントロールをブバチが担う、“2人で1つ”のチーム作りで結果を残してきた。
クロップとブバチで築き上げてきた栄光の数々
ブバチとクロップによる指導者としての共闘は20年以上前の2001年まで遡る。当時2部だったマインツにクロップが就任した際、コーチを務めたのがブバチだった。クロップ、ブバチともに現役時代はマインツの選手として活躍し、互いに信頼し合うチームメートでもあった。
現役引退後、すぐにマインツの監督とコーチとしてタッグを組むことになったが、1部へ昇格させる結果を残すと、2008年にクロップがドルトムントに就任し、その際もコーチにブバチを指名。不振に陥っていたチームも瞬く間に蘇らせ、ブンデスリーガ連覇を筆頭に、数々のタイトルを獲得し、クロップは名将としてその名を世界に轟かせた。
クロップとブバチに訪れた「突然の別れ」
クロップがリバプールに就任した際も、ブバチは当然コーチとして招聘された。最前線のフィルミーノにファーストディフェンダーとしてスイッチを入れさせ、両ウイングのサラーとマネには中央へのパスコースを切らせながらプレッシングを連動。相手が詰まったところを中盤の選手たちで一気に挟み込んでボールを奪ったと同時に、両サイドバックがオーバーラップで抜け出し、カウンターを発動させる。ブバチはそういった確固たるフレームワークを築き上げた。アーノルドやロバートソンのキック精度を活かす最善策だったと言える。
しかし、着実にチームが強化されてきていた最中、その時は突然訪れた。2018年4月、ブバチは突然チームから離脱。公式サイトでも何の声明もないまま9ヶ月が過ぎ、2019年1月に正式な退団が発表された。なぜこのような不可解な事態となったのか?それは、クロップとブバチの関係に生じた確執によるものだった。
クロップとブバチの関係に確執が生じた要因
現地メディアによると、プレミアリーグの激しさを鑑みたクロップは、自分たちが走り回るのではなく、相手を走らせるポゼッション志向への転向を要望したが、ブバチがこれに強く反対。長年にわたって培ってきた“ゲーゲン・プレス”のスタイルをあっさり切り捨てようとするクロップに不信感を抱いたという。両者の意見が合致することはなく、最終的にはブバチがリバプールを去る格好となり、20年来の戦友同士が後味の悪い結末を迎えることになった。
その後、ブバチは2020年にロシアのディナモ・モスクワのスポーツ・ディレクターに就任。低迷していた古豪を復権させるべく、“ゲーゲン・プレス”に適応できる選手を集め、昨季はリーグ3位で終えることができ、ブバチの改革が徐々に反映されてきている段階だ。
リバプールで色褪せ始めた”ゲーゲン・プレス”
対するクロップは、ポルトで実績を残していた若き戦術家ペップ・リンダースをコーチとして招き入れた。ポジショナルサッカーを志向するコーチで、これまでブバチが浸透させてきたショートカウンターのスタイルとうまく噛み合い、ボール支配率を高めつつカウンターの持ち味を発揮する、ハイブリッドなサッカーを展開。そして、前述した通りの黄金期が到来することになった。
クロップにとっても順調な道のりであるように見えた。しかし、見えないところで少しずつ蝕みは始まっていたのかもしれない。チームには当然、新陳代謝が起きるもので、それまで在籍した選手が去り、新しい選手が加入してくる。つまり、ブバチがリバプールに残した遺産が、徐々に失われ始めていたのだ。実際、今では当時のように“ゲーゲン・プレス”を徹底することはほとんどなくなっている。そして、それが、リバプールが右肩下がりに沈んでいっている要因の1つとなっている可能性は否定できない。
リバプールが取り組むポジショナルサッカーの課題
現在のリバプールは、リンダースが推奨するポジショナルサッカーが主体となりつつある。代表的なのは、アーノルドを敵陣の右ハーフスペースに位置取らせる戦術だ。メリットとしては、サイドの深い位置まで相手DFを引きつけたサラーが、アーノルドへとバックパスすることで、ボックス前でフリーな状態から、クロスだけでなくシュートの選択肢を持たせることができる点だ。実際、アーノルドが強烈な右足のミドルシュートでゴールを奪う場面も増加はしている。
しかし、現時点ではデメリットの方が大きいと言わざるを得ない。アーノルドが中盤のポジションに入り込むことで、自陣右サイドのスペースはファビーニョがカバーする時間が長い分、アンカーにこれまで以上の負荷をかけている。カウンターを受けた際、同じ右サイドで得点源のサラーが全力疾走で守備に戻る姿も目立っており、やや本末転倒な場面が見受けられる。
守備面だけでなく攻撃面に関しても、アーノルドが中央に位置取る時間が長くなったことで、サラーが右サイドから中央にカットインして左足を振り抜くプレーも減少。アーノルド自身も、サイドから鋭いクロスを供給する真骨頂のプレーが、以前と比べて明らかに少なくなっている。果たして本当にアーノルドやサラーにとってプラスになっているのか。これまでの強みだったプレーが影を潜めている現状は、鮫が牙をもがれた事態にはなってはいないか?懐疑的な側面が多数あるのは否めないだろう。
ブバチが仕込んだアイデンティティの消失
なによりリバプールにとって深刻なのが、アイデンティティだったはずのハイプレスやインテンシティが著しく落ちている点だ。これに関しては、昨季に公式戦63試合という前代未聞の過密日程を消化し、尚且つ今季はカタールW杯を控えていることからタイトなスケジュールになっている実情もあり、全世界の中で最も日程面に苦しめられているのがリバプールであるエクスキューズは確かにある。圧倒的なハードワークを基盤とするリバプールにとって、これは痛恨とも言える“災難”だった。
しかし、その一方で目に余るのが、プレッシングの連動性の欠如だ。これは疲労とはまた別の問題点となる。どこからプレスを始めるのか、それによってどのパスコースを切り、どこに追い込んで奪うのか。そういった細かな規律が徹底されていないように映る場面が、今のリバプールにはあまりに散見される。これに関しては、ブバチの指導を受けた経験のない選手がリバプール側に増えてきたことによる影響が懸念される。繰り返しにはなるが、ブバチが仕込んできた“ゲーゲン・プレス”がチーム内で着実に失われ始めているのではないか、という見解に行き着く。
リバプールのアイデンティティ消失のまとめ
リバプールがCLグループステージ第3節レンジャーズ戦で見せた4-2-3-1システムは、今後の解決策の1つにはなりえるだろう。ダブルボランチにすることで、アーノルドが上がった自陣右サイドのカバーリングが手厚くなる点や、中盤の人数が増えることでアーノルドが右SBとしてのタスクに専念できる点。新戦力ダルウィン・ヌニェスがトップ下と縦の関係を築けることで得意の裏抜けが活きる点など、様々なプラス材料を確認することができた。
しかし、慣れ親しんだシステムでない戦術が、プレミアリーグの“ビッグ6”や、CLの強豪クラブに通用するかは不透明だ。そして、もっと根本的な問題である、ハイプレスやインテンシティの改善に関しては、一度ブバチが残していった“形見”に立ち戻る必要があるのではないだろうか。チームが強くあり続けるうえで、変化が求められるのは間違いない。しかし、立ち戻るべき原点を見失っては、道中で“迷子”になってしまうのは必然。ブバチがリバプールを去って4年と半年間、クロップにとって本当の意味で真価が問われるのは、ここからなのかもしれない。